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2008-04-02 Wed 13:38
ヒュームの懐疑論
因果性に合理的・客観的根拠はなく 現前している対象にも過去と同様の結果が生じる、と身体に内在しているアプリオリな前提があり、 それを適用して、過去の経験から現前している対象間に因果性を見出しているだけ。 しかし、その前提に合理的・客観的根拠はないため、あらゆる推論は合理的ではない、と否定される −−− 合理的であるという推論の価値の否定。 しかし、このことは我にとって価値を否定されるものではない…気がする。 むしろ救いになるのではないかと期待を抱いている まだ直感でしかないけどさ、これから詰めて考えなきゃなとこ。 我は、主観であることに絶望した あらゆる価値の基準や、推論の根拠が。絶対的では在り得ないことに。 しかし、主観と経験は違うだろう、と。 主観、といっていたのは、我がヒトであるゆえに身体という延長実体であるゆえに必然抱く知覚とそれに類する思考について。 しかし、ヒュームの言う経験による推論は、外的要因を受けて生じた身体的判断。 我の言う、延長であるが故の判断ではない いや、アプリオリな前提、過去と同様に現在も在るだろうという態度は、やはり我の主観に区分される しかし…そこは、一線が置ける気がする。いや、まだ直感でこれは言ってるが。 もっとヒュームを読むのは当然だが、 同時に経験と主観とを考えていかなきゃーあー爆睡しちまったー現在地図書館でのブツブツでした ------------------------------------------ 続き。 我の、主観プレロマ観では、思考推論の価値基準がすべて延長としての身体に基づく しかし、ヒュームの経験による推論の基づくものは、一個体の身体をさかのぼって自然全体という延長に行き着く そうだとしたら、我としてはこれってば、絶望解消の救いなんじゃ…… ? おああああ、もっと考えていかなきゃ、、!!! --------------------------------------- 食堂のスクラッチで野菜ジュースが当たった この個体ってば、なんだかんだで運のいい個体なんだよね 中途半端な幸運は逆に迷惑だったりするけどね 阿呆で幸運な…… 言葉をするのもうんざりする。 |
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