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2008-03-31 Mon 00:57
感受性がなんたら、感情の絶対量が多い。それが羨ましい的なこと そんなことを僕に言っていたけれど。 誰かを「好き」になること、質的に異なる肯定。 感受性の強いこの僕が、まさにできなくて苦しんでいることなんだけどね そう、もしかしたら。 感情の絶対量が多いからこそ、感情一直線な感情だけでは在れないのかもしれない いわゆる理性(的な感情)も常に同在し感情の結果を見つめている。特に損得利害の観点がいつも消えない そして理性(的な感情)が、感情が好きになるような対象に良い評価を下すことは滅多にない だから、たとえなにかを感情で肯定しようと、理性が高評価を下すことはなく、総合的に「好き」となれることがない 感情と理性(的な感情)の価値観の違いによりこの個体の統率が取れない それは前から言っていた。で、感情要らない、そいつが消えれば僕はひとつになれるのに、と。 だが、今は理性が感情ではないと思ってはいない。 さっきから書いているようにこの個体の中にある理性と呼ばれる人格。うん、感情なんだよね、これ。 そうであるというための合理的な説明はできないよ、この理性が感情である故に。 だからね、理性と呼んでいた人格も感情で、僕は感情の絶対量が多い故に理性人格も強い したがって、感情一直線感情だけで在ることができず統率が取れない 理性が強いのは、感情の絶対量が多いから。 という逆説的なことを言ってみる、わかんないけどさ、厳密に考えてないけどさ。 だから僕は、羨ましい。 感情の絶対量が少ないからこそ、一直線感情で在ることができるあなたが。逆に、ね。 ……… 結局、なんであろうと、うまくいく状態になれないんだよね、 多かろうと少かろうと、結局はいつも不満ばかりだ。 |
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