おひるねまくらをよろしく

むしんろんじゃ。すきでなったわけじゃない。かみさまいないとたてないんだよ。いてくださいよ。でもいたらいたでぜったいはんぱつする。はんどうでしかないこのこたい。じゅんすいなあしにかみさまをみます。
亀山郁夫講演会 @bunkamuraミュージアム
2009-04-19 Sun 13:27

★ロシアの風景画
美しいか否か、ではなく、人工的か自然そのまま(=神的)かという基準で描かれる
 →神的な風景を良しとし描かれる
うん、だからなんだろうね、僕はそういう風景画が大好きであり、事実この展覧会の風景画はすげえ魅入られてしまった
特に好きなのはレヴィタンの「静かな修道院」

静かな修道院
(この霊性は実物からでないと伝わらないけれども)

それとクインジの「ヴァラーム島にて」。
僕は基本的に、風景画というのは好きではない
ただ綺麗なだけの絵はすぐに飽きてしまうから。(勿論それはそれで好きではあるのだが)
しかしこれらの絵はただの風景の絵じゃなくて…なにか、主義主張が、その絵が表す風景そのもの以外の別の力や意思が入っているように感じられる
そして僕はそれに魅入られる

亀山郁夫はその神的なるもの、あるいは上で述べた力というものを霊性と呼ぶ
これは僕で言う神的感覚のことだろうと思う
ロシアの風景画が好きになれるかどうかは、この霊性を抱けるかどうかが鍵であると言う
霊性はどこから来るか? 信仰か?(亀山郁夫がどう考えてるかははっきりとはわからなかったが信仰であると考えている……のだろーか)

亀山郁夫が同意するかはわからないが、僕はこの霊性というものは神への信仰を持たなくても感じ取れるもの、抱き大切にすることができるものだと思う(というより僕がそうなのである)
別に「静かな修道院」や「ヴァラーム島にて」に直接に神を示唆する意図はない(と思う)
しかしそれに霊性(あるいは神的感覚)を感じるのは、霊性というものが神を信仰するが故に与えられる感性ではないからである
霊性・神的感覚は、言ってしまえばただの「感覚」であるから、神が存在することが原因となって生じる観念ではなく、あくまで自身が勝手に抱き上げる感覚であるから、神を信じていなくても存在しなくてもその感覚は抱くことは可能なのである

では信仰ではないというのなら何なのか?
自分の感覚であるといっても、霊性を抱く時と抱いていない時の状態の違いはなにか?

僕は次のように思っている。(あるいは、僕のケースは次のものである。)
永遠なるもの、普遍的なもの、絶対的なもの、時間・場所を通じて一定であり、時間場所が異なっても変化しないもの 。
これらのどれか、あるいは複数か。なんでもいいがそのようなものの観念を「感覚的に」抱けるかどうかが鍵である
普遍的なものが実際にあるかどうか、という現実の理解とは独立にそのような観念を自分の体感として感覚的に想像できるかどうかによって、霊性の経験ができるかどうかは決まるように思う
つまり、霊性・神的感覚とは、自分の中にある感覚的な観念からやってくる感覚である

上で列挙した観念。それらは神だったり自然だったり色んなものに解釈しうる
逆に言えば、神の観念を抱ける人、信仰心を持っている人や、自然を神にたとえて崇拝している人や、そういった人たちは霊性を持つことができ、またそのような形での解釈が一番単純かつ明快であるから霊性を抱く人にはそのような人が多いだろうと推測できる
だが、これまで述べたようにその根本は神でも自然でもなく単なる「普遍的なものetc」という観念であるため、信仰を持っていなくても、無神論者であっても霊性・神的感覚は抱くことができるのである


………長いよ。


というわけで、亀山郁夫講演会に行ってきたよ!
講演内容は会場にある絵を、ロシア人の精神性と絡めて解釈してみたり、クラムスコイは境界上にいる人間を描いているんだーとか、この展覧会の目玉の「忘れえぬ女」のモデルは誰か?ということを調べて諸説を挙げてみたり。まあごくごく一般的な内容。

しかし亀山郁夫は絵画の見方として、妄想に入り込むことを肯定していた
いや、入り込むべきだと言っていた
僕も妄想に入り込みまくるという絵の見方が好きなのだが、反面それでいいのか毎度不安でもあった
だって、作者の意図と全然関係のないかもしれないことを妄想して絵画を楽しんでいる訳だからね、それって邪道じゃね?二次創作的な…。という不安が常に。(とはいえ止めようとは決して思わないが)
しかし亀山郁夫も「忘れえぬ女」の女性が泣いているのだ!と思って感動したりと(絵を見ただけでは涙を流してる訳でもなく、普通はそのようには思わない)僕のように(言葉は悪いが)妄想している訳で。
ああ、やっぱそれでいいんだよね!
もう迷いません



で。
ミーハーという訳じゃなくてね、?
亀山郁夫の本を買ったらサインをくれるとて。
僕の一番好きなカラマーゾフの兄弟の2巻を買っていきましたよ
サインが欲しかった訳じゃない。2巻のゾシマ長老の説教のところがすごく好きなんです、とちょっと言いたかったのです
(とはいえ、亀山郁夫は作者でもないただの翻訳家であるからそれを伝えたいというのもおかしな話だが、少なくとも同じドストエフスキーファンであり、さらに霊性・神的感覚を解している人であるからなんとなく言いたかったのだ)
しかし今カラマーゾフの兄弟を買っているのだから、普通に考えたらまだ読んでいないのだと思われるだろう
なもんで、大学の図書館で借りたのだと言うことを早口で伝える
さらに、ゾシマ長老の説教のところが好きですと言ったら、
あなたは霊性を感じてしまっているのですね、と。
Да!! その通りです。


や、言い当ててくれたのが嬉しかっただけです。

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