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2009-01-19 Mon 16:07
カラマーゾフの兄弟4巻メモ
p.190ホフラコーワ夫人 「あなたもわたしも、みんな心神喪失起こしてるでしょう。そういう例っていくらでもありますよね。」 ☆心神喪失[アフェクト] 意識もはっきりしているし、何をしているのかもわかっている。だけれど覚えていない。 p.202リーザ 「あらゆる悪いことを片っぱしから試してみたくなるの、汚らわしいことなんでもよ。」 p.212 ドアをばんと閉めて、思いきり指をつぶした。 「ああ、わたしって、なんていやらしい、いやらしい、いやらしい、いやらしい!」 ★リーザが読んだ悪い本、まさか「悪徳の栄え」? だとしたら、同じ受け取り方を…、 ドSの本を読み、感化されたふりをしてドMに走る、 罪を美しいと思うこと、罪となることを行うこと、それによって人から蔑まれること。 それらを幸福に感じ悦に入る。 ドSの本を読んだと言うのにね! p.520イッポリート 「怖くておそろしいものを見ずにすむなら、一生涯でも眠り続けていたいと切に願っているのです。」 p.576 「金さえあれば、人間が人間で通じる。」 p.658フェチュコーヴィチ 「ロシアの裁判とは、たんに罰するためだけのものでなく、破滅した者を救い上げるためのものでもあるということを! 破滅した者たちは救われ、ふたたび生まれ変わるのです。もしもロシアとロシアの裁きがほんとうにそんなふうであるなら、ロシアは前進していくでしょう。」 ★(この小説とは直接には関係なし) 裁判の目的がなんなのかいまだにつかめない。 ていうか裁判という現象がわからない。 行為の結果に対する罰、動機を含めた結果に対する罰、社会を良くするための処理、犯罪未然防止策…… フェチュコーヴィチみたいな視点ってあるのだろうか? あって然るべきもの、と思っていたのだが……、最近になってそれが無いんじゃないかと疑い始めている。 だとしたら、救うための裁判でないのなら、裁判ってなに? いや、こんな抽象的な話じゃなくてさ… 判決を決断するときの基準の精神を知りたい、どーなってるんだろう。 純粋に行為についての評価?あるいはアブダクション? これだけでもいいから知りたい。 裁かれる人に対して、どうしようとする?許すのかな、救おうとするのかな、 一体どういう目で被告人を見ているんだろう。 ミーチャの裁判を見てると、ちょっとホッとする。彼はやっぱりドミートリィとして見られてる。許すとか救うとかそういうことじゃないけど。 まあ要は、二分するのが嫌なんだよね僕は。罪人/一般人、って。 p.666ミーチャ 「ああ、でもどうか許してください、ぼくからぼくの神をとりあげないでください、そうなったらきっと不満を言ってしまう! 胸が苦しいんです、みなさん、許してください!」 ☆自分を美しい贖罪者にしてほしい。醜い罪人ではなく。 |
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