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2008-04-08 Tue 01:52
存在肯定で満たされるとしたら、どんなにいいだろうね 感情の絶対量が少ないとしても、満たされるものが状況として在り得るのなら、どんなにいいだろうね 無いんだよ。 この個体。 そもそも『幸せ」なんていう一個体主観還元的なもの自体 肯定され得ない 我の価値観、それによる絶望。そんなの全くオリジナルなものではない 歴史的な経緯によって、できあがった価値観に大きく依存している この絶望の原因を我という主体だけが問題にしているとしたら、全く他の主体にとって問題でないとしたら、まったくもって一個体主観の我には重要度の見出せない問題となる しかし、そうではない。歴史というバックアップを得ている。だから、たった一つの主体だけが偏執狂になっている問題ではない だけれど。それだって同じだ。人間というバックアップを得たところで、結局人間主観の問題に過ぎない。我には重要度の見出せない問題。変わらない。 では、どんな問題ならいいのか? 一個体でも複数個体でもない、普遍的なる問題? 普遍的?それは全ての個体にあてはまるということ? 否、と答える。 では、何だと言うのか? 自然全て存在全てが抱える問題があると?人間のような考えるアタマを持たない存在が問題を抱えられると? 否、アタマを持つものが全て抱える問題だとしても、アタマを持つという一つの基準に縛られる、つまり、主観となる、重要度は見出せず終わる。 主観とか言ってる時点でおかしいのは解っている。身に染みて解っている。 それこそ主観。 だが、この個体の構造が、そうなっているんだ… 変えられようもなく、どうしようもなく… 存在し得ないものを「良し」としてしまっている絶望。 どうしようもない。 「良し」がない世界を憎むか この個体の「良し」設定構造を憎むか 後者を取るとする。 つまり設定構造を変えようと動く しかしその行為の動機は? それは「幸せ」を求めて、この個体の構造という主観を満たすため、だろう それは設定構造上、認められない、却下される。 だから我は前者を取る、他に選択肢がないから。 世界を憎んで、しかし変えようのないものであるからただ憎むだけ、分析するだけ 絶望は何も状況は変わらないまま、ただ分析、解析、考察……… 感情の量なんて問題じゃない 自身に内在する価値観の基準、旗こそが問題なんだ |
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