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2008-11-20 Thu 19:14
雑多メモ。
1 人間カテゴリー 身体は二つの観点から分けられる、 物質としての身体を肉体 意思によって動くところの身体を駆動体 意識は 身情−身体ベッタリの意思:身体に関わる意思(感覚・思考含む)ex)生存欲(死ぬのは嫌)、食欲 義殻―いわゆる「人間」 承認要求、良心、身体化(内在化)した非身体的意思 鱗旗―措定カテゴリー。一個体の身体には基づかない(ただし力への意思・傾向性には基づく)意思 2 僕の位置づけ 現在の僕は“彼ら”に対しどのような位置付けか? “彼ら”はプレロマ世界を絶対に嫌だと言った。 僕は?“彼ら”よりも譲歩した、ということ? “彼ら”は身体に左右されることも傾向性であることも完全に拒否した。 僕は…身体に左右されることも傾向性も嫌、だが、譲歩して旗であっても絶対基準ならば許容する、と。 だが、“彼ら”であっても、基準以外のものを見出せたのならば許容というか問題なかったのでは? 3 “彼ら”の復活 “彼ら”はどうしたら復活する?それが元の悲願であったはず… 絶対基準を見出したら、あるいは基準でないものを見出したら、? 彼らの旗が、自己矛盾を起こすことなく再び掲げることができたのなら、彼らは生き返る? ………正直、よくわからない。文字上ではそうであっても、これは感覚としてもう無理なんじゃないか、って少し思う。だって、もう違うもん、アタマの良し悪しも、覚悟の程も。 4 傾向性の観点から見た生命とは 全ては基準、傾向性だというのなら 生命とは、自己保存を含む傾向性、ではないだろうか 単なる傾向性(混雑時の物質の流れとか)が生物ではないのはすぐに散逸・消失するから DNAを生命とするか?では、自動電力充電機能つき機械は? −萌芽。 笑い男が生命か際どいのは統一性があるようなないようなものだから 5 「神」との類似は? 求めるは、内的なもの(傾向性すら外的とする)。外的なものにまったく依存しない。 しかしそれを証明するのは現代において神の存在を証明するようなものでは? なに?内的なものって。存在の傾向さえ外、って。 ていうか、あるいは神を証明することそのものなのでは? くすくす… 「神」の概念と「求める」はどのような類似があるのだろうか? 比較検証してみたい… つまり、「神」の概念を、知りたい。 根本的には違うと思うけれど、絶対なにかしらの大きな類似点があると思うんだよね… だって僕はキリスト教にあれだけ一時期シンパシーを感じていたのだから! |
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