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2008-11-13 Thu 01:19
生涯を掛けて、彼らの死亡理由を覆す 。
………っ、 クソ甘な腑抜けの考えであった。 生涯を掛けて? 詭弁だ。 何故っ、今すぐにでも覆そうとしない!? 研究者というこの個体でも可能性のある職を手に入れ長期に渡って生きていく、ということを前提に置いていた。 研究者として生きていける道があるのなら、生存目的を為すことに多少の支障が出ようとも、その道を歩こうとしていた。 すぐに成せることかはわからないし、成せるかどうかさえ判らないのだから、と。 したがって、長期に渡り生存しておけば、もしも成すのに時間が必要であった場合にも対応できる。 ここは堅実にいこう、と。 生涯を掛けて、覆す…… というのは今この学生時代に全力で着手する気がないことの表れ。 研究職の片手間となる。 だから、生涯という長い時間を掛けないと成せないだろうという展望。 この個体が今だもって生存しているのは何故だと思って?忘れているの? 虫たちを愛おしむようになって。 彼らとならずっと付き合っていけると思った。 生存理由を忘れていられるほど、虫たちと戯れるのは楽しかった。 虫たちと深く付き合う研究者なんてものになれたら、それはどんなに素晴らしいだろう。 ……… うん、本当に、どんなにか、素晴らしいことだろうね 、、 そこは否定しない。なりたいさ。すっっっごく、な! だが、それができないのがこの個体だ。 義殻が出張るのは、まだまだ、ずっと先のこと。 どんなにしたいことがあっても、まずはなさねばならないことがある。 持って生まれた障害のようなものだ、 これが解かれない限り、この個体がしたいと思うことはなにひとつ承認されない。 だが、近頃なんとなく思う。 解くための欠片は、僕の身近にいっぱい散らばっている気がする。 それらを紡いでゆけば、遠からず解るんじゃね? とさえ感じる。 ある考えを何故自分が正しいと信じているのか、それは別の信念によって正当化されているから。 ではその信念は何故正しいと信じているのか、それも別の信念によって正当化されているから。エンドレス。 この遡行問題の答えを、別の信念によって正当化されることなく他の信念を正当化することのできる基礎的信念があり、それは「存在」である、と僕は出した。 そして僕は基礎的信念が存在でなんか絶対にあってほしくなかった。 僕の障害とは、まさにこれだ。 こんなこと、戸田山さんの『知識の哲学』におもっくそ載っていた。 そして、存在である、と僕が思っている原因もわかった。 明らかにドーキンスの影響なんだ、利己的な遺伝子の第二章。 今読み返したら、たったあれだけかよ!という程度のものだった。 それなのに、刷り込みのように堅く信じていた。 そこまで強く信じるには、薄弱な正当化であると思う。 あれを読んだ当時、僕はまだファンタジー世界に半身浸かっていたからね だから、 生涯を掛けて、などどそこまでの堅実さは超法規的武装なんじゃないかと今は思う。ゴキブリをバズーカで殺るくらいの。 いや、言い過ぎか、ゴライアスオオツノハナムグリくらいにしておこう。ってまあどうでもいい。 だってコレ、欠片っつーかもはや容疑者じゃねーか。まさに原因だぜ? このシッポつかんで引きずり出せば奴ら出てくるんじゃね?っつう。 そんな訳で。 研究室だ進路だ。 考えるのはやめた。 12月の研究室調査があるという。 ………知るか。もうやめた。 これまで散々考えてきたのは何だったんだ、と言いたくなるが。 義殻を遂行することで生存理由を成すことに繋がるのではないかと思っていたので、その共存の道をどのようにするか、というまあ言ってしまえば人生プラン?みたいなのを大分慎重に考えていた。 しかしだな、これだけ怪しさ満点の容疑者が浮かび上がっているんだ、そっちを進めないでどーする。 事によっては、一年間時間を置こうと思う。進路というか、この個体の将来に進む前に。 もしかしたら、たった1年で!解けるかもしれないんだから。本当に! 苦痛って、 餌だな…… (今回の方向転換理由:S先生による純粋生物学の楽しさの話を聞いたこと) (あまりに、S先生の純粋な生物学と僕の手段としての生物学が違いすぎて…) (純粋故にとても羨ましく、逆に自分の汚さ汚物まみれさが恥ずかしくて痛くて仕方なかった) |
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