おひるねまくらをよろしく

むしんろんじゃ。すきでなったわけじゃない。かみさまいないとたてないんだよ。いてくださいよ。でもいたらいたでぜったいはんぱつする。はんどうでしかないこのこたい。じゅんすいなあしにかみさまをみます。
真夏のブリザード
2009-01-01 Thu 01:59
砂浜でくねくね踊る三月のうた。(季節感バラバラだな!)


新年早々
焼きを入れられた。

アロマキャンドルを付けていたのだが、ちょっとした隙にジリジリリリという音がしてなんだと思ったら
茶色のカスがほろほろといくつも落ちてくる…
前髪焼いちゃったよ! orz


お賽銭は七円です。
何も無いように、の七です。
何も起きなくていいのです。
おみくじも吉を願いました。フフ、さすが僕、その通り引いたぜ。
「二つの願いを一度に叶えんとすればわるし。
 学問 努力すればよろし。」

何も事は起きなくて良い。
僕はただ学問に励むのみだ。
それだけでいいし、それだけなのが望ましい。

願うのは、学問の道に進めますように、ということ。
この一年の話でなく、僕という人間が。
そのための七。


「腹立ちやすい心を押さえて」
どうも最近、怒りやすい。ここ数年に珍しく。(そーでもない?)(異なる種類の怒りが生じやすい、ということだ)
うん、確かにこの怒りに振り回されていたらろくなことになりそーもない。
気をつけなきゃね。
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私の感じる甘き苦悩は
2009-01-04 Sun 06:47

おはようございます!



寝てません。徹夜です。
金曜日のG術会レジュメ作成中。最近毎日こんなだよ…
つっても昼間にやってないからな!
M田に数ヶ月ぶりに行って原色日本昆虫図鑑のガチャポンを大人買いしたり(ミドリシジミ以外コンプ)(残ってるやつにミドリシジミがもうなかった…)(アオスジアゲハ美しい!2つもダブったが構わない)
星の王子さまをこの年になってやっと読んだり(幼少時読んだ時はおもしろいともなんとも思わず途中で止めた)(鋭く冷たくキレイな物語だった)
シュテンプケの「鼻行類」を読んだり(これってばフィクション告知してないのな!いや、素晴らしい!)
母と切り札(トランプのゲーム)に興じたり(これはいける、なかなかに面白い。その内がろばでやりたいものだ)
お昼寝したり(だからこんな時間まで起きているのだ)。


12月末から、目が覚めると疲れてる。
夢を見る、追われたり殺されたり辛くて苦しい夢。
だから今年は初夢について考えるのを止めた。まさに元旦にみたけれど酷かった。
最近は毎日楽しいのになーなんでかなー
他人とコミュニケーションのない生活ってすごく楽。
いや、コミュニケでなく他人と接したり他人を見る機会がない生活が。(普段でもコミュニケはない)
加えて、好きな本をダラダラしながら読めるこの生活はたまんねぇ。
でもあとちょっとだけだ、今週いっぱいで終わり。
G術会のレジュメが作れたらレポートをやらなきゃだー いやその前に生態学の課題があったか…


ちなみにG術会の文献は東浩紀の「動物化するポストモダン」。
いや、確かにこれはおもしろい見方だ。
僕はヲタではないが   …たまに、抉られます。
しかし僕は最近のヲタではない。つまり、キャラ萌えヲタではない。
物語を重要視する一世代前のヲタタイプです。
……と、自負だけはしたい。
僕においては、キャラ萌えはあくまでも物語重視な上でのモノです…!



あーだめ、流石に眠い。


そーいえば言い忘れてました、
明けましておめでとうございましたー
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舌根から脳へと抜ける
2009-01-15 Thu 05:37
1月14日

命日を悼む日。
感傷的なのはそういう日だから、それを許す日でありするべき日だから。
「命日」という言い方からして感傷的なんだと言われればそーだが
たしかに、この個体にとっては大事件だったから。




「僕」雨柚 惟水
「我」維沙 春途

リロが決して不可能だと判り、絶望し、無を求めた。
個体においては達成できなかった。これはあまりに情けない、甘さ。
「我」は自殺した。そして維沙となった。
この個体から「彼ら」が別れた。

「我」はリロになりたかった。それ以外在りえなかった。
しかしできなかった。それは能力の有無ではなく、論理的に不可能だった。
だとしたら、「我」に何ができた?

春の沙漠。
灰色の彼岸。
「我」の乗り物であったこの個体はそれさえもできず、「我」を道ずれに引っ張っていた。

消毒のにおい。
塩素のにおい。
のどがいたくて、なのにできなくて。
あまりに情けなかった。

「我」はあの時分離を決めた。それ以外在りえなかった。

決して望んでなんかいなかった。他に無かったから。
事故死の自殺。


ついでだから、振り返っておこう。
「僕」、惟水。
感情だった。ずるずる、ずるずる。
リロのために造られたのに、暴走した。だから殺された。殺した。
さよならファンタジー。


現在の僕。
「彼ら」の屍骸の上に立ち、歩く。
墓守。弔い。「彼ら」のために。それが僕。

確かに、「彼ら」の言う通りだったよ?
あれからいろんなことを知った。
そしたら「彼ら」のこと、わかったよ、少なくとも位置はね。
僕は、………墓守。
僕は僕のためじゃない。この個体のためでもない。
「彼ら」のために。
だから何があろうと絶対にやらなくてはならない。
僕やこの個体になんか引きずられてはならない。決して。
それは唾棄すべきこと。
たとえどんなに惨めになろうと、苦痛が襲おうと、絶望しようと、
僕のことは考慮に値しない。範疇外。
それが定義なのだから。

それに、現に得たものがあるのだから。位置がわかったのだから。
大丈夫、たった2年で位置を突き止めたのだから。(でも掛かりすぎ)
「彼ら」の解明。できる。そしてやらなければならない。絶対に。
それが僕の定義。墓守。


神さまはいない。
「彼ら」も、もういない。
僕がなにをしようと、「彼ら」には決して何も届きはしない。
だけれど、僕が、墓守という定義を持つのだから。
それに従えばいい。それだけ。

墓守を成し遂げたなら、それでいい。
その後のことなど知ったことか。定義以外のことなど。
だってそれが僕なのだから。

決して見誤るな。暴走するな。惟水になるな。
僕の定義は「彼ら」の墓守。それ以外の何者でもない。
僕は彼らの屍骸の上に立ち、歩いている。
そう、単純な話だ。複雑に考えるのがおかしい。
この個体は僕の物だ。この個体ではなく僕がこの個体の持ち主であり支配者。
そして僕のなすことは定義から考えれば簡単に判る。
そう、そうなんだよ。


………はは、何がシャッターか。瓶詰めか。
どーでもいいこと。知ったことか。勝手に苦しがってろ。
僕にはなさねばならないことがある。
それだけだ。




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思えば、何とどーでもいいことに悩んでいたものか。
シャッター。瓶詰め。
そうさ、あの時だって自分で言ってたじゃないか、僕は「幸せ」を求めて生きている訳じゃない、と。
いや、問題はそこではないな。僕の定義を忘れていたことだ。
………はは、何故、「忘れる」なんてことがあり得るんだ?
愚か。あまりに愚か。唾棄に値する。何故、何故!?
くだらない、くだらないくだらない。あーあ!くっだらねぇ!!はは!!!
阿呆すぎて笑える。

考えるべき方針はこうだ。
シャッター、瓶詰めが、「彼ら」の探索を促進するか無害か、あるいは邪魔となるか。
前者であるなら放置、後者なら除去だ。
ああ、なんて単純なことにうじうじ悩んでいたことか!


もちろん、こんな風に考えても苦痛は消えない。変わらず同じ程度だけあるだろう。
だが苦痛の意味が変わる。それはこの個体の苦痛であって僕自身のものではない。
なんと言えばいいだろうか。風邪のようなもの、というか。
風邪は苦痛を引き起こすだろう。しかしそれは身体を傷つけても精神的に傷を負うというものではない。治ればなんてことはないし、治らなかったら風邪の苦痛を日常的に味わわなければならないが「うざくて厄介」という質の苦痛。存在意義に関わるような類のものではない。

それに、このような定義があろうとなかろうと、この個体は何も変わらない。
僕は本気で親密圏との会話を楽しむし、本気で別れを悲しむだろう。そう、シャッターだの何だのの苦痛だって、決して偽りじゃない。本気でこの個体は呻く。
人への裏切り? そんなことはない。何も変わらないのだから。

 念のため。
これは苦痛過多のためにこうせざるをえなかった、というものではない。
本来こうであるべきだったのに、それを忘れていただけ。そして1月14日がそれを思い出させてくれた。このタイミングは、単なる偶然。
もしシャッター云々の悩みを抱えていなかったとしてもこれを取り戻しただろう。そして後にこの悩みを抱いたならば今と同様の処理を直ちに行うだろう。



シャッター云々。
言葉にすればなんてことは無い。というより、内面の作用について言葉にしたところで、比喩でしかないし、実際のところがわからなければ、何を大げさな、と一蹴にして終わる。
しかしま、メモとして残しておこう。この動機は「なんとなく」。

シャッター云々の悩みは、問題が表面化されないことが問題。
表面化されない、というのは、
瓶詰めして、シャッターを閉め、鍵を掛ける。警報装置on。という手口によってである。
これが、非常に鮮やかな手口。
感情を瓶詰めする。事柄をシャッターで閉める。思い出すことをしないように鍵を掛ける。思い出そうとすれば警報装置が鳴り響く。鳴るから触れようとしなくなる。無意識に避けるようになる。
これを僕はあんまりな高頻度でやりすぎた。あっという間に、「最近」と呼べるほどのことでもこんなのばっかり。

また、そのことによって襲ってくる恐怖の量が非常に多いことも悩みの種。
しかしこれについては、感情の量を言葉にしても仕方ないからな。
単に量が多いことを表すために恐怖の念を修辞で飾っても仕方ない。


今回のことは、二重のシャッター。
シャッター瓶詰め習慣に気づいたことをさらにシャッター。
知ってはいいけど意識してはいけないことだったみたい。
警報装置がね、とんでも な く  やかましくって。


シャッターに気が付いたのは布団に包まってたあのとき。
過去の某事柄について、鍵を開けてシャッターを開けて瓶のコルクまで抜いちゃったからね、
今はもうコルクも閉めてあるしシャッターも閉めてある。鍵は掛からない。


あれによって気が付いたこと、
恐怖が多くの場面で僕を動かしてきたと前に言った。
これを言葉にするのはとてもとても単なる言葉でしかないから嫌なのだが
ちゃんとメモっておかないとね、またシャッターになるからな、
恐怖、畏怖するもの、
愛情。好意。笑顔。にこにこ。それらが、受け取られることなく単独で存在すること。



1月13日午前3:10頃 東の空に流星を確認。5秒ほど。僕がひとりでいますように、と。




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無限不可能性
2009-01-17 Sat 02:54
「生物学の哲学」講義質問メモ。


☆ ラカトシュのリサーチプログラム精神
ポパーは科学の定義を反証可能性に求めたが、実際の科学の現場でそれを適用なんてできない。
反証可能性とは、ある理論を反証する(反例を出して否定する)ことが可能であるかどうか、ということ。もし反例が出ても「それは〜〜といったアレで、やはりこの理論の通りなのだ」と言ってしまうような理論であるならばそれは科学理論ではない、ということね。(一生懸命祈っても我が子が死んでしまったとき、神を否定するのではなくオマエの信仰が足りなかったからだ、と言う様なこと。)
んだけど、実際に実験をして理論と反するような結果が出たとしても、いや今のは実験中になにかミスったんだとか偶然だとか言って自分の理論を撤回したりなんかせずしがみつく。でもそれは普通のことで、たった1回反する結果が出て即ポイなんてむしろ根性がなさすぎる。
長くなったが、ここで出るのがラカトシュのリサーチ・プログラムの精神。反例が出ても、自説の中にある要素以外の別の要因が働いたためにそうなったんだ、と言うことで新たな発見につながることもあり(海王星の発見とかね)反例があると自分の仮説をポイ捨てする、なんてのが望ましい訳じゃない。つまり、反例が出ても自説に固執して探るという態度が研究の進展に有効なこともある。これがリサーチ・プログラムの精神である。

あ、本当だ… ドーキンスの話とは違うな…
しかし、ドーキンスの進化理論が研究において有効でなくなるということは無い、っつーことが導かれるのでは?
ドーキンスの理論は進化の要因が淘汰のみである進化が起きた場合についての仮説、という気がする。そうだとすれば、実際の進化が淘汰のみでなかったとしても、淘汰の程度や他の要因の有無などを測る有効な目安になるのでは?すなわち、ドーキンスの理論の意義は決して否定されないんじゃないかな、と。グールドの理論が否定されることがあり得るとしてもね。(ということが言いたかったのに言葉にうまくできなかった)


☆ グールド
・一般人には人気のエッセイストだが専門家には好かれていないらしい。
アメリカ版茂木健一郎みたいな。
(茂木健一郎が哲学者からも生物学者からも嫌われているのは知っているが、具体的になんでなのか知らないんだよね…、今思えば聞けばよかった…)(大学1年の頃読んだ「クオリア入門」は特に引っ掛かることもなくすんなりと読んでいたけれど)(批判精神が足りなかったのかなあ?)

・革命願望。みんなの信じてることについて、ちゃぶ台ひっくり返すような提案をして注目を集めたがる。まあ、グールドの性格面についての言葉を読むと、あまり好ましい印象ではなかったな…


☆ 質問すればよかった
繁殖価やら近縁度やら包括適応度やらというのは目の前の一個体についての言及はできないしそれを目的としていない、よね?いや、誤解を招くな、なんといったらよいか…
よく社会性昆虫に言われることで、働きバチが自分の子は生まずに働く理由を、遺伝子を共有している女王バチの世話をすることで自分の遺伝子が残せるから、ってのがあるけれどそれは目の前の一匹の働きバチについて語っているのではなく、大きく数百万年(もっと?)に及ぶ社会性を持ったハチ全体について語っているんだよね?目の前の一個体はその一端にすぎなくて、目の前の一個体について語るような口調をするのは話を分かりやすくするためだよね?
この手の話は分かりにくいから、初学者や一般人には上記のように比喩で説明されることが多い(しかし逆に誤解を招きやすくしていると思うのだが…)
僕の不安は、それが比喩ではなく本当に言われている、ということ。「それは比喩ですよね?」って聞けばよかった確認したかった…… せっかくの機会だったのに!


☆ 進路
卒業して哲学科の院にいったとする。哲学史とか基礎をやってる余裕なんてないらしい。しかし僕は哲学史をやりたいしやるべき。それも目的の一環であるのだから。そして就職やらエリート一般街道とかを気にしないなら別に急ぐ必要はない、と。
しかしエリートってよく考えたらなんだ?研究者という職はやはりエリートだろうか…?だとしたら急ぐべきなのか??いや、良い就職ってことか?だとしたら別にいいのだが…
また、今においてまだ哲学史やら外国語をあまりやっておらず来年度は卒研があるよーな状態で院入試に受かるのか非常に疑問。先生の体験談を聞く限りでは。

・僕が過去と今において、ものっそ紆余曲折を経ていく人間であるからといって、じゃあ未来もそうして行ってもいいかー、という訳ではない。単に一生懸命生きてて振り返ったらその道が紆余曲折だったというだけ。手を抜く方向で考えてはいけない…
つまり、そういう考えの下で学士を考えることはダメ。
・僕の目的(存在傾向以下略)を明かす上で、哲学史など基礎はちゃんと理解し潰さねばならない。目的を基準とした上での学士を考えることは構わない。
・しかし不安なのは上にも書いた、研究者…っていうか、この道で食っていけるか、ということだ。別にものっそ給料なんて安くていいから、むしろ今の段階でいつか訪れるかもしれない貧困を想定してサツマイモを育てる練習をしようかとか年末年始の日比谷公園は全く他人事ではないと感じたりおととしの年末なんて山谷に行きましたからね!アレくらいのものを今から覚悟していますから… 給料が出る、というだけできっと僕は十分だろう。ただし、大学に身を置かせてほしい……図書館使わせてー!あと学会やらの業界にもちゃんと通じていたいし!ひとり閉じていては誤まりそうだもの。
・ああ、しまった、これを言えば良かった…、、研究ができるならなんでもいい、といったがより良い研究環境として大学を想定していることを言うのを忘れた…、大学に居続けるにはどっちがいいのか聞けばよかった…
・とりあえず、僕の目的・学問的には学士入学がいいかと思っている。
・うちの哲学科の先生にも聞きにいかねば…っていうかO本先生のとこに行きたいんだよいつもいないんだよ!!orz、、、

☆ 生物基礎論研究会
 3月の20日頃だったかな、松山にて開催!
いや、率直に申し上げて行きたい。す げ え 行きたい。
問題は、そのときに僕の精神状態がヒッキーになっていないかどうか、だな…
いやいやいや!僕の問題に直結するよーなアレですからね、ヒッキーになったとしてもきっと行くだろう。
まあ要は、一ヶ月以上先のことを口にしたり約束するのが嫌だし怖いし確証はないので口にできないということ。



こんなとこかなー
てなわけでおとといの木曜2限、「生物学の哲学」講義だったのです。



以下だらだらと、愚痴。


この講義の時に課題のレポートを提出して、その場でプレゼンてことになっていたのだが
30分遅刻した・ZE!! orz、、、
しかしね、行ったら学生が1人しかいなかったんだよね!今までも少ないとはいえ4,5人くらいはいたのにね!なにゆえ!?
そんなわけで、教室に行ったら即・僕がプレゼンすることになりまして。(僕が遅刻している間にその学生はプレゼンを終えていた)
バイクをかっ飛ばして学校に走る間プレゼンのことを考えて「無理だァァァできるかァァァアア!!」と叫んでいたほどプレゼンの恐怖度の高さに自信があった。
喋っていて噛んだり言い間違えたり主語と述語が不一致だったり文のつなぎが「〜という感じでー」とか息継ぎする場所おかしいだろ!とかだったり(「ドーキンスは進 息継ぎ 化の普遍的法則を求 息継ぎ めており」←こんな感じ)超グダグダですよ!
そして肝心のレポートの中身ですがね、進化理論論争の対立項としてドーキンスとグールドをとりあげて書こうとしたのだが…その最終結論が絶対誰か言ってるような気がしたりていうかむしろみんな知ってる自明のことじゃね?こんな結論を出すために書くなんて阿呆げてるんじゃね?というテーマの意義についてだったり、そもそも論文としてこれ結論が対立の根本ならとりあげる論点はもっと幅広くやった方が明らかにいいだろなんで2つだけなの?とかオマエ考察部分に近縁度とか材料以外のもん導入するなよ常識だろとかいやそれってば生物の実験のレポートの常識じゃん人文論文ってそーいや見たことねーよこの阿呆が!
………いや、もうね、レポート中なんか叫んでたりとかね、自己嫌悪で発狂しそうでしたよ、むしろ自分のその罵倒が辛かったよ……
そんなレポートをいきなりプレゼンすることになり、そして思ったとおり僕のいつものグダグダな口調で。はは。
まァ、もういい。終わったことだ…

しかし、授業が終わるまでには他に誰か来るだろうと思ったら、本当に僕ともう1人の人だけで終わった…
これに来なかったら確実に落ちるのにね、うーーん……
というわけで僕のが終わって他にプレゼンする人もいないから解散となったのだが、
「生物学の哲学」の講義はこれで最後。先生は東海大の人だが非常勤で今期だけ来てくれてる訳で、もうこんな機会はあまりないからね、最後に何か質問をしておかなければ勿体ない。

だって初めてでしたからね!ドーキンスの話をできる人は!
ドーキンスの本はベストセラーさえになってるというのに…なんでこの話ができる人が全ッ然いないんでしょうね!まあ海外では宗教問題を引き起こすから読まれるってのがあるんだろーけど。日本じゃそれはないから個人個人の関心を引かないんだよね。
いやさ、動物生態の先生は知ってるけどね当然。当然すぎるほどね。包括適応度やらといった概念は完全に前提だからね。
ん、ドーキンスの何の話をしたかったの?
………「どう思う?」って、率直に尋ねたいかも。
良くも悪くも、僕がまだファンタジーに2/3くらい浸っていたころに知って読んだ本だからね。高2・3頃か、佐倉統の本にびっくらこいて(今思えば適応度とかいった進化生物学的概念に驚いたのであり佐倉統自体ではなかった)(でも今でも佐倉統は好き。)他の本も漁って、その中にドーキンスがあって。そしてまあ見事に知識が内在化されていますね。
一番わかりやすく影響を受けているのがわかるのが、利己的な遺伝子の第二章。生命の起源。(ていうか当時生命の起源について調べあさっていた訳だから当然なんだけどね)。そしていまだに引きずりまくっている。生物は感情といったもののない単なる反応の延長線上で、てことは感情や精神はやっぱり自然に発生するものだったんだーー、と。当時はこんな思考だったな…。しかし今も根本的には変わっていないか、全ては物理的な(あるいは別の)力の応酬の延長線上である、と。現実のものと独立したものなんてあり得ない。基準、論理、真理。(すごく議論を醸すことをさらりと言っているけれど…)

ああ、横道長いよ。そんなわけで、僕の思想の歴史に大きく関与している本だから、まあ言ってしまえば思い入れのある本な訳で、そういった意味でこの本を読んで他の人がどう思うのか、聞いてみたいんだよね。
それと、普通の生物学徒も読まないよねドーキンスなんて。知ってもいないんじゃないだろうか…
いや、僕はそんなにクラスの人と話したことなんてないもんね、一部しか知らない僕が語ることではない。理想的でない人を目前にしているからといってそれを一般化するのは阿呆げている。
(超愚痴(今更だけど):なんでふしぎッ子は自分が読んでる本を見せるかな?いやさ、それ自体は全然構わないしむしろ良いことなんだよ、最初は感心してたよ。僕もがんばろう、と。しかしね、あるときから気づいたけれど、その話をするときに本を読んでいることについての自慢的空気をあの子は出してた。てことは、今まで見せられた本があの子の読んだ本全部?だとしたらあまりに少なすぎるし視野が狭いと思わざるを得ないんだよ。いやね、これが僕の思い過ごしであってほしいよ。僕があの子の何を知ってるというんだ。だけどね、そうじゃなくてね、この話が思い過ごしでも事実でももはやどっちでもいいよ、僕がこういう疑惑を持ちつつ君の話を聞かなきゃいけない苦痛を考えてくれ…。どっちでもいいから僕にそういう話をしないでくれ…)

僕以外に学生がひとりしかいなかったこと。
本を借りてるときから疑問には思ってたんだよな…、図書館の進化理論関係の本が一冊も借りられてなかったからね、参考文献もなしにどーやって書いてんだろと。
あるいは、僕が大量にほとんど独り占めしてたからみんな書けなかったとか?
………いや、それはないよな、授業でやったんだからな、
うーん、何の文献を調べていいか分からなかったとか?…いや、参考文献はレジュメにあったし、ネットで調べりゃwikiなんてものっそ進化理論論争ネタあるもんな、あそこからリンク探してきゃいくらでも見つかる。
ま、どーでもいーか。(と済ませていいのだろーか?)
(うちの哲学科はダメだとか腐ってるとか内部者から聞いたことがあったけれど、もしやこれがそーなのでは、と不安になった…)(あるいは、これが日本の哲学会における生物学の哲学の評価なのか?みんな関心が無い…、、、)(まあ哲学者は置いとくとして、少なくとも進化について考える生物学者は関心持てよ!と思うんですけどね、みんなすぐに「適応的だ」とか言いすぎ!)(人のこと言えないだろうけどな!)(ていうかこの授業は生物学科内で行うべきだったよ!)(どさくさに紛れて、科学者なら論理学や科学哲学に手を突っ込むべきだよ無関心はねぇだろ!などと荒唐無稽なことを言ってみる)


とまあ、折角の機会ですから先生と話してみたのでした(内容は最初のメモ)
なんというか、あの時はプレゼンの後で大分燃え尽きていたのであまりアタマがまともじゃなかったけど。そしてなにより寝不足が…
で、喋っていたら結構時間が経ち、先生はその後用事があるそうで駅前のO戸屋で一緒にお昼ご飯を食べたよ!
いや、なんつーか…よくある話に、大学の教授と一緒に学食に行くとか飲みに行くとかあるじゃないですか!
なにそれ!そんなん一度もねーよ!気配すらねーよ!!準ちゃんとご飯とか…ァァアアア!!(悶え)
ちょっと(大分)憧れてたのですが…ついに!僕は成し遂げたぞ!(小っせぇ…
そんな訳で僕はテンションがおかしかった。寝不足も相まって非常におかしかった。おまけに進路についての相談をしたので不安の感情も同席しやばかった。
いつもの悪い癖、コップをダン!と机に叩きつけちゃったよ一回だけ!ああ…、、、、
しかしまあそれくらい僕はテンション高くて大分喋るのがとまらなかった。そーしてる間に先生は用事があるとてお会計をして下さり(ごちそうさまデス!)お帰りになった。
以下、上にメモらなかった会話内容を。
・哲学業界っていうか学者職に身を置くならば、やる気と根性、ですね。と。
僕はどうだろう。十分な量をちゃんと持てているだろうか…
ない、ってことはあり得ないんですよ。問題は有無ではなくその程度。
・僕のプレゼン、悪くなかった、ていうか良くできてた
マジでかァァァアアアア!!!(とっても嬉しかった。。。)(上述のようにすげぇ不安だったからね!)もちろん口調はアレだが、そうでなく内容がしっかりしてた。哲学的考察にちゃんと踏み切っていたし。てな感じだったかなっ!はーー、本当に良かった、ホッとしたよ…。まあ、レポート自体はまだ読んでないのでわかんないけどね、と。
・僕はどうして、哲学の具体的な分野を言及することをこんなに恥じるのですかね!!!なんでだろう、劣等感?というか…僕が哲学の何を知っているというんだ阿呆め!という意識がとても強くて、言うべきだとわかっているのに声が出なかった……
・テーブルマナー(O戸屋でそれを言うのも微妙だが)がわからなかった…
目上の人は奥の席、とかってあるのか?僕は勝手に奥の長いすに座って先生は手前の個別いすに座ったが…これって失礼だった!?いや、単純に先生は荷物がでかいから長いすは困るかと思ったんですよ…(ちゃんとマナーを気にする大人になりましたよ…ホロリ)(感激するところではない)
・僕が食べたメニューは「深川あさり汁ご飯」。たしか609円。水を三杯飲んだ。
・なんというか、久々に人と話をした気がしました。久々って言っても日付的には7日以来か。あれからずっと僕は閉じていて14日で大分開き直ってその明くる日にこんなんだったからね。


で、それから大学に戻ったわけだが、空がすっげきれいな水色で雲ひとつなく、そして沸いたアタマをしていたので、ペットショップで柴犬(茶柴と黒柴)とセキセイインコを見て心を落ち着かせた。ああ、柴ってば可愛い…、セキセイインコ、ピーコよりも元気で太ってたな、若い頃はピーコもあれくらいだったかもしれないけど。特に茶柴の子犬…可愛くてもだえてしまう、子犬の頃の鼻が黒いのがたまらない。やばい可愛い悶える……vvv


以上。

実は 。
貫徹 → 30分遅刻 でした・YO!
阿呆か!?なんで僕ってばこんなにダメな子なの!!
10:30からの授業なのだが、レポートを(強制的に)書き終えたのが10:20だったからね!それから印刷して着替えて大学行って…だから遅刻したのですよ!クソ阿呆めが!
どうして直前にならないと進まないんだ?確かにちゃんと、直前以外にもやってるのに…
これは真面目にやってるか否かの問題じゃない。なにか性格的精神的圧力があって、直前になると何があろうと書かざるを得ないから進む、ということな気がする…
僕はテーマの意義をずっと疑っていた。直前になって、たとえ結論を変更することになっても、材料となる思想だけは文字化しておこうと書いた。本当は結論も見通せた上で材料部分も書きたかった。その方が寄り道のない美しいものになるから。
………ここにきっと問題が、ある?本当にこれだけかなー、、、?


って、ぅ、あ ッッツ!!?
僕は現在ヘッドホンでALIPROの「人生美味礼賛」をエンドレスリピートで聞いているが、コンコン、と何か叩くような音が聞こえた。
振り返ってみたら、か、壁を黒いものが歩いている!!?
よくみたらカエルがうしろ足を伸ばして立っている…これは彼が獲物を見つけたときの仕草だ、
ついに出たかGめ!
と思って近付いたら、僕のコオロギちゃんではないですか!!
ケージのふたが開いて… ない。
今日掃除のときに、あった方が楽しいかと思って木の枝を斜めにして入れておいた。
そこからケージを伝い空気穴から抜け出た…?他に考えられない。
自由になったところ、申し訳ないが…カエルさまのお腹を満たさせて頂きました。
しかしまあ!僕のカエルさまのなんと優秀なことか!ヘッドホンをしている僕にコオロギの脱走を教えてくれたのですよ!流石僕の子ですよwww

あ、それと今日カイコがついに羽化したよ!
なんというか…何を今更という話だが、標本にするのは生きてからにしようと。まあカイコは成虫になってから数日でなくなってしまうのだしね…
もう一匹がまだ羽化しないけど、この2匹の子達で交配できればいいな。産卵させてみたいな。
………卵なんて、僕の大嫌いなものだというのに。うーん、自分で今言っていて気持ち悪くなってきた。でもできるならね、彼らの証を。

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カラマーゾフ
2009-01-19 Mon 16:07
カラマーゾフの兄弟4巻メモ


p.190ホフラコーワ夫人
「あなたもわたしも、みんな心神喪失起こしてるでしょう。そういう例っていくらでもありますよね。」
☆心神喪失[アフェクト]
意識もはっきりしているし、何をしているのかもわかっている。だけれど覚えていない。


p.202リーザ
「あらゆる悪いことを片っぱしから試してみたくなるの、汚らわしいことなんでもよ。」
p.212
ドアをばんと閉めて、思いきり指をつぶした。
「ああ、わたしって、なんていやらしい、いやらしい、いやらしい、いやらしい!」
★リーザが読んだ悪い本、まさか「悪徳の栄え」?
だとしたら、同じ受け取り方を…、
ドSの本を読み、感化されたふりをしてドMに走る、
罪を美しいと思うこと、罪となることを行うこと、それによって人から蔑まれること。
それらを幸福に感じ悦に入る。
ドSの本を読んだと言うのにね!


p.520イッポリート
「怖くておそろしいものを見ずにすむなら、一生涯でも眠り続けていたいと切に願っているのです。」
p.576
「金さえあれば、人間が人間で通じる。」


p.658フェチュコーヴィチ
「ロシアの裁判とは、たんに罰するためだけのものでなく、破滅した者を救い上げるためのものでもあるということを!
破滅した者たちは救われ、ふたたび生まれ変わるのです。もしもロシアとロシアの裁きがほんとうにそんなふうであるなら、ロシアは前進していくでしょう。」

★(この小説とは直接には関係なし)
裁判の目的がなんなのかいまだにつかめない。
ていうか裁判という現象がわからない。
行為の結果に対する罰、動機を含めた結果に対する罰、社会を良くするための処理、犯罪未然防止策……
フェチュコーヴィチみたいな視点ってあるのだろうか?
あって然るべきもの、と思っていたのだが……、最近になってそれが無いんじゃないかと疑い始めている。
だとしたら、救うための裁判でないのなら、裁判ってなに?
いや、こんな抽象的な話じゃなくてさ…
判決を決断するときの基準の精神を知りたい、どーなってるんだろう。
純粋に行為についての評価?あるいはアブダクション?
これだけでもいいから知りたい。

裁かれる人に対して、どうしようとする?許すのかな、救おうとするのかな、
一体どういう目で被告人を見ているんだろう。
ミーチャの裁判を見てると、ちょっとホッとする。彼はやっぱりドミートリィとして見られてる。許すとか救うとかそういうことじゃないけど。
まあ要は、二分するのが嫌なんだよね僕は。罪人/一般人、って。


p.666ミーチャ
「ああ、でもどうか許してください、ぼくからぼくの神をとりあげないでください、そうなったらきっと不満を言ってしまう!
胸が苦しいんです、みなさん、許してください!」
☆自分を美しい贖罪者にしてほしい。醜い罪人ではなく。
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What'bout my star ?
2009-01-19 Mon 16:08
苛苛。悔しさ。悲しさ。自責。うるさい。物音。頭痛。吐き気。
理不尽を被ること。なのに何も言えない情けなさ。怨み憎む。だけどもらった物がある。行ったきりの愛情。それなのに憎んでる。申し訳ない。嫌な子。そして笑顔のそれが可哀想で。それ自体に罪は全くないのに。
この繰り返し
家にいたくない、これを引き出す材料がありすぎる、目をそらしてるだけかもしれないけれど耐えられない、悲しい物の彼らを見出したくない
かといって外にも出たくない。人は見るのも嫌だ。
それとは別の理由で、他人との会話、あるいは会話がなくとも互いを認識している状態。避けるべき。
ひとつには、道化になるのが嫌だ。ほんとうはそんなこと思っちゃいないのに口にしたりまたは態度として示したり… うんざりだ、大嫌いだ。僕の道化。
それと何も言えずただ受身になるのが嫌だ。僕はほとんど何も言えない。言えたとしても全くの受身体勢。もうやめてくれ…うんざりだ、大嫌い。。。

どうして自分でいられなくて、そして何も言えないんだろう…、わかっているのになんで破れないの?
道化の殻を破けない。僕は僕に割り振られた役を振舞わなきゃいけない。という内在化された観念がある。多分。だから道化であり、何も言わない。

あーあ、また阿呆な発言が… 「助けて」?
他人との接触は須らくまさに問題としている道化を呼び起こす。
他人に求めることは叶わないんだよ、本末転倒なことを言うな。

好意と呼ぶほど大げさなものでなくて、だけれどそういった好意の類のもの。
僕に向けないでくれ…、受け取れない、だから申し訳なくて哀しくて虚しくてなのに憎んでさらに申し訳なくてループ。

かつて言った、僕の原動力の恐怖。
それは主にこれから生じてる。気づかなきゃ良かったのに。
非道く醜いアンチ。


なんで僕なんかに采配されているんだろう。
いや、別に僕だけ特別に恩赦のように与えられているわけじゃない。
存在してしまったから。それだけ。
なんて痛いんだ、、、
存在しなきゃ良かったのにとみんな思って自分でも思って
だけれど存在してしまったからまあそういうものだとして采配を与える。
痛いよ。

そう、これを別の仕方で表すと
初めから存在しなかった場合における利害>存在した場合の利害、であり
存在したが途中でそれが抹消されてしまった場合の利害<存在した場合の利害、という状況。
「利害」という言葉は、他人全ての立場から考えて、僕によって生じる利益から僕によって生じる迷惑を引いたもの、これを適当に利害と言って表したもの。利益であればより大きく、迷惑であればより小さい値となる。
で、まあ利害の値が大きい順に並べると
1初めから存在しなかった場合における利害(望ましい)
2存在し、存在し続ける場合の利害(3に比べればマシ)
3途中で抹消された場合の利害(一番面倒くさくて迷惑)
となる。
痛い。すごく痛い。
1はもう現時点では望むべくもない。取れる選択肢が2と3しかなく2の方が値が大きいのだから2を選ばざるを得ない。
ああ痛い!


しかし、たまに疑わしくなることとして、
2と3は逆なのではないか?という疑問がある。
僕は烏滸がましくも、途中で抹消した場合結構な迷惑があると思っている。
実際に人が死ぬと親族には手間をかけるし関わった人は哀しむ。それは大変な迷惑だ、と思う。
しかしそれとは逆に思ったりもする、まあ、それだけなんだよね、迷惑因子なんて。
手間を掛けるが何年も長期に渡って大変な手間を掛けるわけではない(墓探しは長く掛かることもあるが)。そして哀しむけれど、人はその感情と日常を分けて生きられる。
僕が誰かの死を経験したとき、それでも世界は普通にまわっている事実に感覚的な不整合を感じた。こんなにも迷惑量は大きいのに、いつもどおりにまわっている。何故?こんなにも哀しみなどの迷惑をもたらすならば、歪んだって全然おかしくないのに。
つまりこういうことだろうか?
いかに迷惑量が多かろうと、世界が変わるようなことはない。
迷惑量は確かに絶対的に多かろうと、世界からすれば相対的には大したことはないのではないか、と。
だとしたら、僕の2と3は……入れ替わる?

これがわからないから、いまだに悩む。どうしたらいいのかと。
しかし最終的な結論は決まっている。
そもそもこんな、他人やらという外部の観点によって決めることが誤りなのだ、
僕はこの僕からの視点によって決めなければならない。
よって僕は可能な限り存在しろ。…という風に。


まあ、そんな「他人から」の利害なんてわかるはずねーだろと思われるだろーけれどね、
手前が思っているほど迷惑でもないし利益でもないよ、とかね、あるだろうね。
所詮僕が勝手に思い込んでるだけ、と言われればそうかもしれませんがね、
だからこんなこと言っても無意味になるんだけどさ、
いいえ、確かに僕は、迷惑災害なんです。 これは、たしかに 。
そして、
まあ別にその迷惑があったって、世界的にはなにも普通にまわるものだろ、
そもそもこんなことで悩んでる手前こそが烏滸がましいんだよ!
って言われればその通り。ああ、痛いね僕ってばさ!
その痛さが迷惑だよ!ああ、迷惑量が増えたね、やっぱり2と3入れ替わるんじゃね?
………ループだよ。




それはさておき。
3よりはマシかは嫌疑は掛かっているが、存在している限りその利害を変えることはできる。
迷惑を掛けなければいい。人と関わらなければいい。そうすれば利害の値は上がる。3よりマシである可能性が高まる。いや、誰とも関わらなければきっとそうであろう!

だから関わりたくない。僕は、本来のあるべき基準、自分の視点からすれば存在すべきと出ている。だが他人の観点がそれを妨げようとする。ならばその妨害の程度を低くしてやるのは良い手である。つまり、2が3よりマシである、と確信すること。
そのためには人と関わらないという手は非常に有効。
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愛と言葉のDust Me.
2009-01-20 Tue 18:03

愛おしさ。
僕は確かに知っている。
あのやわらかさ。あたたかさ。きれいな空色。

知っているのは、経験したことがあるから、持っていたことがあるから。
今は持っていないけれど。

もう、持つことはないのかな、
多分きっと、ないんだろうな、
あんなにやわらかな空色、もう、持てない…

美しい、というのとは少し違って。
やさしい、だよな。やさしい思い出やさしい記憶。


いいな、みんなずるい。
どうして持てるんだろう?どうやったら持てるんだろう?


僕があのとき持てたのは…
憎まれて嫌われて蔑まれて当然の立場にあった僕に、
そして絶望の中にあった僕に、
手を伸ばしてくれて。与えてくれた。
それによってあり得ないはずなのに僕の中に感情が生じて、何もし得なかった僕に選択肢が生まれた。
とんでもない奇跡。絶対にあり得ないと思っていた奇跡。どうあがいてもできなかったことだったのに、いとも簡単にきっかけを与えてくれた。
あのときそれがなかったら、僕はどうなっていただろう。

近づきたくて、追いかけて。
思えばあのときの思考はそればっか。
青いめがねも金の髪飾りも白い服も。
他にやり方のわからない僕の、つたない同期。
僕だけだったらあんなの絶対にしなかったよ。
できたのは全部と言っていいほどあの人のおかげ。

崩れ始めたのはいつから?
あの人のことを知って、段々と…
………と、今まではそう言ってきたけれど。
単に、僕が自分で歩けるようになったから、なのかなあ…
ひとりで立てるようになって、自分で行為を決められるようになって。
あの人がくれた感情が、言ってしまえば「用済み」になってしまった。


自分の行動について誰かに頼ることができるって、すごく奇跡みたいな滅多にないこと。
自分を採用しているのが普通だから。
よっぽどその人という価値観に傾倒しているか自分が全くダメな時しか、頼るなんて選択肢は取れない。そして、そんな時はそうあるものじゃない。

誰かを選択している間というのはどうしてあんなにも神聖を帯びるのか。
きっとそれは知らない故の神聖さ。
知らないが故に相容れないものは生じず、知っている空色のみを見続けられる。

知ったら終わり。そしてナルシストになってもその時間は終わり。
今の僕は…特に後者が強くてまずできない。
それと、知れば終わるだろうことを知らないうちにすでに想定しているから、知らない状態にあるにも関わらず神聖さのみで保存しておけない。


………僕はもう、あのやさしい空色を持つことはできないのかなあ、、、
若いときしかできないのかな、あんな夢みたいなことは…
純粋、というよりファンタジー世界に生きてたもんね、どっぷりと。




あーもっ、ちょっと懐古の情に浸ってしまった、、
ワイルドハーフ最終巻は中毒を引き起こしちゃうよ!
一体何度読んでることか!
それと、STORYWRITERを聞いてたら、エウレカがレントンに会いにいくシーンの音楽を聞いていたらね、なんだかとっても……
もうこの音楽にセーブされてるんだよね、あのときの空の感覚が。
聞いてたらそりゃロードされちゃうって……… 。



七、七、七七七!
「なにもない」の七!
それが目標なんだから…
たとえなにかあったところで、もはやあんなにやさしい空色は二度と手に入らないよ、
それに似た劣化物を手に入れたところで哀しくなるだけだ、きっと。



「大好きなのだ いいにおい」
あそこのシーンがね、もうすごくすごく好きで…!
いいなあ、あんな風に情を持てるなんて…羨ましいよ、すごくすごく。。。

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進化理論足蹴
2009-01-23 Fri 20:17
NHKスペシャル「女と男」

今後数百万のうちに、早ければ来週にでもY染色体消滅するだろう、と。
その根拠となるデータは、これまで数百万年のうちにヒトのY染色体はどんどん短くなってきていること。
対となるX染色体の遺伝子数は1098であり、Y染色体にも過去にはそれくらいあっただろうと考えられるが今では78しかなく染色体本体も非常に小さくなっている。
この速度で小さくなれば、数百万年のうちに消滅するだろう、と。


いや、そんなわけなくね?
現代の進化理論からすれば、生体にとって必須な遺伝子が消えるなんて考えられない。
必須な遺伝子が消滅すれば当然なんらかの異常が生じる。しかしそのような突然変異を起こした個体は生き残れない。したがってその突然変異がヒトの遺伝子プールに広まることはない。つまりY染色体上にある必須遺伝子は消滅しない。

確かに、Y染色体の遺伝子数の減少は起こり得る。それは、その遺伝子がなくてもあっても同じだった(適応度が変わらなかった)か、なかった方が有利だった(適応度が高かった)からだ、と考えられる。
しかし、他の染色体では、減ることは十分あるだろうが、ここまでの激減はないだろう。Y染色体には遺伝子数の激減が起こり得る理由がある。
だって、Y染色体がなくても生体としては問題ないんだからね、メスはY染色体がなくても生物として機能している。
逆に言えば、Y染色体に必須遺伝子があったらメスというのは生存できない訳だから。
つまり、Y染色体上に生体を構成するための遺伝子があったとしても、なくても生存に必要なものはすでに揃っているのだから、それが消えていったとしても問題はなかっただろう。
したがって、これまでY染色体の遺伝子数が減っていくというのはありえないことではない。
それと、一個体にY染色体は一本しかないから異常があればすぐ淘汰される。もし2本あれば代替が利くため異常の遺伝子でも次世代に残ることがあるだろう。Y染色体はそれよりも強い淘汰圧が働く。これもY染色体だけに急激な減少が起きる原因だろう。

というわけでで、Y染色体が今まで小さくなってきたのは、小さくなっても障りがなかったからであり、必要であったものが消滅したわけではない。
改めて言うまでもなく、Y染色体にはオスを形成する必要な遺伝子がある。
今までの現象は必須ではなかった遺伝子についてであり、したがってこれまでの遺伝子数の減少から必須遺伝子の消滅を推論することはできない。

…だよね?
これが違うとしたら、あのNHKの番組で述べられていた情報以外の要素の作用があるだろ。
だって、あれだけ見たら「21世紀にもなって定向進化説かよ!?」って思うって!
今までこういう方向に進化してきたから、今後もそのような方向に進化し続けるだろう、って… そんな説明じゃ、たとえ定向進化が実際に起きるものだったとしても、全然科学理論じゃないだろ、まったく根拠になってないよ!
ていうか第二回目に進化心理学(現在の形質はそれが適応的だったために今に到るまで生き残ってきた、という理論をモロ採用しフル活用している分野)を使っているのにいきなり非進化論とか番組構成的におかしいよ!


まあ、Y染色体自体が消滅することもあり得なくはないだろう。
ただしそれは、Y染色体の機能の代わりになるもの(同じ役割を果たす遺伝子か、あるいは全く別の機構か…)が生じたとしたら、の話だ(Y染色体のないトゲネズミの研究者もそれを探している)
まあ、それの真実はさておき、Y染色体が消滅するにしたって、他の変化はなく単にY染色体だけの消滅が起こる、なんてあり得ない。
単なる個体レベルでは突然変異体として生じ得るだろうが、それが人類に広まるなんてそんな突然変異が生じるよりもあり得ない。
だって、Y染色体が無いことから、生存の有利さや、あるいは生存に差支えがないことを予想できるか?何らかの支障がある個体になるだろう。
Y染色体消滅が実際に起きたとしても、それが人類に広まるとはとても考えられない。
番組に出ていた研究者が、早ければ来週にでもY染色体は消えるだろう、と言っていた。
しかし、Y染色体消滅で問題となるのは数個体レベルの話ではなくそれがヒト全体に広まる、という状況。
確かに来週あたりに突然変異個体が現れる可能性は否定できないが、別にそんなことは問題でもなんでもない。
(あの研究者の方がこれを理解していたかはわからないが明らかに誤解を招くような発言をテレビに向かってするのは研究者として、してはいけないと思う)

また、Y染色体が実際に時間をかけて消滅したとしよう。だがそれは、他の遺伝子との関係をもった上で起きることだ。
Y染色体以外のところにその機能を果たせる遺伝子が現れたか、あるいはまったく別の機構ができた、というような遺伝子の環境が調う過程が必要となる。
でなきゃ、Y染色体の消滅が広まる道理はない。
つまり、ヒト全体のレベルでのY染色体の消滅が起こるとしたら、消滅しても問題がないような状況下で起きる。
だからY染色体の消滅が人類の絶滅をもたらす、とは言えない。

NHKのあの番組では、
Y染色体が消滅→男はいなくなり女のみになる→子供が産めない→人類の危機
という話の展開だった。
で、番組内での危機の対応策は「女のみになる→子供が産めない」というのを打ち破ればいい、つまり女のみになっても子供が産めればいい、という論筋だった。
子供が生めない理由として、胎盤を形成するのに使われる遺伝子は精子のものだから、メスのみでは胎盤が作られないから子供の胚発生が正常に進まない。

…いや、胎盤ができないとかそういう問題だけじゃないだろ、そもそも受精ができないんだからそこから問題は始まるだろ、、
受精ができるものと想定しているのか?メス同士でも人工的に操作を加えて受精を可能にする技術があるのか?(番組では一切触れていなかった)

それに、これはY染色体の消滅とは直接的には関係がない。
胎盤を作るのに使われる遺伝子が精子のものだというだけで、その遺伝子自体はメスも持っている。発生上の制約的な問題。
まあそれが越えられないからオスがいないと困るのだが、それを言うなら胎盤以外の諸々の問題が発生において起きるだろう。なぜ胎盤だけを取り上げるのかがわからない。



いや、さ、この番組、相当ひどいと思ったのだが…
僕のこの感想はおかしいのか?過剰反応?でもおかしいよな?
確かに、僕の知識不足なとこがあって実際はこういう問題が十分考えられるのかもしれない。
それは別にいいんだ、そうじゃなくて、この番組だけみた場合明らかに現代の進化理論に則ってない。
たとえNHK側が番組では放送していない進化論的解釈を理解していたとしても、これを省略してエセ進化論をもたらすようなことをするのはよろしくない。


生化学の講義のとき、先生がこの番組を紹介してくれた。
なんてタイムリーなんだ!と思ってわくわくしたら、先生は普通に「そーなんだー」と番組の内容を受け取っていた。
やっぱ生化は生化のことだけで、進化理論とかには興味ないのか ?
(先生がそう言ってるのに、僕の方が間違っていると思わないのが良くないの?でも違うだろ!)(それに生化の先生はあくまでも生化学の先生だもの)
で、この番組を見た他の学生は普通に「面白かった」と感想を言っていた
はあ……、不消化すぎる、、、
誰かこの番組について僕に説明してくれ!僕が間違っていようと別にいいんだよ、
このひとり取り残され感がとっても不消化気持ち悪い…


番組の話に戻るが、その後はヒトの精子が近年弱体化しているという話。
その理由を一夫一妻制に求められ、乱婚制のチンパンジーやらボノボの精子と比較するとその活力さは歴然。

まあ、一夫一妻か乱婚によって精子の活力が変わるってのは十分あり得るだろう。
ただ一夫一妻、と言えばわかりやすいけど極端に言いすぎか、
ボノボやチンパンジーほど乱婚ではないから、つまり、メス一個体あたりの交配するオスの数が、ボノボの方がヒトより多いから、ということ。
だから一夫二妻であろうとボノボよりは精子の活力は低いこともあるだろうしね。

わざわざ「一夫一妻」という言葉を使ったのはなんでだ?
社会的(?)問題をほじくるようなことを無目的にしてほしくない…


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風船空気飴
2009-01-27 Tue 02:22


眠れない。
冬休み頃から朝夜逆転生活だったけれど
最近は本当に寝られない。
眠い気がするのに頭がチリチリして。
意識が半分くらい飛ぶ程度でやっぱり起きてる感覚。
実際の物音でも、妄想の中での衝撃でも、すぐに起きる。
明るくなってくるとやっと、ちゃんと意識が飛んだ状態になれる。


考えたくないことから全力で目ソラし。
あーあ、全然成長してないね。
それでも常にまとわりついて、すぐ振り払う。
全力疾走で逃げてるよ、うん、国外逃亡します。2月半ばから3月アタマまで。



考えたくないこと、って言っても、
思考しようがないんだよね、
だって本当にとりとめのない、ただの感情的な不安、悔悟、罪悪感。
それらの暴走。それだけ。言葉による支えが増した訳じゃない。
だからどうしようもない。言葉でねじ伏せられる代物じゃないから。
できることといったら、考えないか、謝罪するか。

一体どうしたらこれは鎮まるのか。
午さんは、一人じゃだめと言っていたけれど
………僕のこれは、人に聞いてもらって、治まるのかなあ、、、
何を言われても、ますます罪の意識を深くするだけな気がする。


これが何なのかって、
端的に言えば、母さんへの……
なんだろう、なんて表せるのかな、
愛と暴力と、…やっぱり愛と 。
…だめだ、アタマ、チリチリする……


あーあ、ダメだ……
どうしたらいいんだろうな……どうしようもないな、
まだ、それを明確な形で露呈させないようにしているだけ
このまま時間が経って、明確に表れたら……


だめだむりむりあたまむり終了終了!!



いや、別に、マザコンとかそういうことじゃないから。

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