おひるねまくらをよろしく

むしんろんじゃ。すきでなったわけじゃない。かみさまいないとたてないんだよ。いてくださいよ。でもいたらいたでぜったいはんぱつする。はんどうでしかないこのこたい。じゅんすいなあしにかみさまをみます。
枯れ葉モザイク
2008-12-05 Fri 14:18
ま…… っ
まみっ、むめ……、、、、


野矢さんと会話してしま…っ 、!


 
てなわけで。ついに目標の一つを達成したッ
やっと野矢さんに質問できた!授業終わって、僕の前に質問しに行く人がふたり。それを待って、「先生!」と。
いや、あの、ものっそい緊張した ひざがカタカタするし心臓が痛いしっ

はーー…、高校3年?浪人?の頃から好きだった本の著者とおはなしできた……☆
というだけでも、なんだかどきどきしてしまう。 は、はぅーー、、



しかしまあ、そんなミーハー中学生精神に振り回されてはならない。
何を質問したか、回答はどうであったかをメモしておこう。


他我問題に対する野矢さんの解決方法案の眺望論について質問をしたのだが
まずは他我問題が何なのかから説明してみよー。


他我問題。
僕と他人が言う「痛み」とは同じものか?
僕の「痛い」と言ってるものはあの子で言うと「くすぐったい」なんじゃないか?
といった日常から始まる疑問を出発とした、感覚が自分と他人で本当におんなじなんだろーか?という問題。

これは、実際他人と僕とで同じかどうか身体を検証するという問題にもなり得るが、
野矢さんやその師匠である大森荘蔵は意味論的な問題として考えていく。
「痛み」というのは僕にとって感覚であるが、「他人の痛み」とは感覚じゃない。だって「他人の」痛みは感じられないから。
それは、たとえ電脳化して他人が感じた痛みの電気信号を自分にも伝わるようにしたとしても同じ。それは、他人の痛みを「僕が」感じていることになるのだから。
じゃあ、「他人の痛み」における「痛み」って、なに?



これに対する対処方法はいくつかある。




1、類推説

あの子も腕をつねられたら「痛い!」と言って手をひっこめようとするから、きっと自分と同じように心の中には痛みの感覚があるのだろう
つまり、心→ふるまい という図式が自分の中にあることから、
他人においても同様に 心→ふるまい という図式がある、と想定し、
他人がなんらかのふるまいをしたら、そのようなふるまいをする心の内容をさらに想像する、ということ。
というわけで、彼女が腕をつねられて歯を食いしばっていたら、ああ痛いんだろうなあ。と類推する。
僕らは日常でこう思ってるよね。

しかしこれは哲学的な問題をはらむ。
まず、自分の中に心→ふるまいという図式があるからといって、他人にあるとは限らない。
(というよりも、それが他人にあるかどうかを問題にしているのが他我問題であるから、これでは論点を先取りしていると言える。)
自分が痛い時にするふるまいを、他人が同じくしているからといって、もしかしたら心がないのにそういうふるまいをしているだけかもしれない。
たとえば腕をつねられても、痛みという感覚が欠落しているのに、歯を食いしばるふるまいをして、「痛ぇなチキショー!」と言っているだけかもしれない。
(こういうのを哲学的ゾンビという)

さらに、もうひとつの問題として、意味論的な問題(他人の痛みを僕が感じたところで「僕の」痛みになってしまい、「他人の痛み」は理解不能)については何も答えられていない。
他人においてもし痛みという感覚が生じているにしても、僕が痛みを感覚として判断している以上、「他人」の痛みは感覚じゃないから「他人の痛み」は「痛み」と位置づけられない。


という問題に答えるものとして次の対処法。

2、僕と他人で「痛み」という言葉の意味は異なる

「他人の痛み」は僕にとって「痛み」すなわち感覚と位置づけられない…
ならよかろう。他人の痛みは感覚ではないのだ。それは痛そうにしている「ふるまい」なんだ!
と開き直る。(すげぇ、いさぎよいな。)
こういう立場を取る人の一人として、野矢さんの師匠である大森荘蔵がいる。(呼び捨てですみません)(もはや故人なので、敬称を付けると「アリストテレスさん」みたいな違和感があるから…)
大森は、「状況→心→行動」という一連の流れを自分の経験の内に見出し、それを他人にあてはめる。
ただし、「状況→( )→行動」という風に、「心」の欄は空白にして。
だってあるかどうかはわかんないからね。というか、これがわかんないということが他我問題を起こしてるからね。
で、状況が「腕をつねられている」でありさらに、行動が「歯を食いしばっている」であるとする。
この「状況→(?)→行動」の一連を指して、これが「他人の痛み」であると大森は言う。
たとえば、あの子の腕に釘が刺さっていてあの子がのたうちまわっているとする。
本当にあの子に、僕が感じるような「痛み」があるのかは知らない。
だけど、あの子は今、「痛い」んです。
「釘が刺さる→(?)→のたうちまわる」という一連が、あの子が「痛い」ということ。

そして実際、これで実生活は十分事足りるだろう。と。
哲学的にも筋は通る。
問題点としてあげるならば、僕らの直感に反するということ。
僕もあの子も、「痛み」は同じじゃないのか?
したがって、なんだか満足できない。というのが大森説の難点。(これは重大な欠点だろう)
意味は通る。だが満足できん。というわけで、次の方法案が出てくる。



3、「痛い」とかそんなもん、言語ゲームだ。

そうやって言葉について意味論的に考えるからいけないんだ。
言語とは実際にどのように使われているか、言語使用の実践(これを言語ゲームという)を見ることで解明すべきものなんだー
という後期ウィトゲンシュタイン的立場を取る方法。
その一人として野家(のえ)啓一さんという東北大の方がいらっしゃる。
で、こういう立場で、他我問題について次のような解決法を提案する。
他人が「腕が痛い」と言う。
これは、「痛い」という感覚についての主張をしているのではなくて、
「痛い」と言ってしまう状況の原因を取り除け(腕をつねるな)という「要求」なんだ。
だから「痛い」というのは感覚か行動(ふるまい)か、なんて話ではなく現実に僕らは「痛い」と言うことでなんらかの要求をしているのだから、そのような使われ方をもって「痛い」を理解すべきなんだ。

…といった提案でした。
でもこれにも大きな問題があるだろう。
だって、僕らはいつも「痛い」って言葉でいつも必ず誰かに要求しているわけじゃないよね
(とはいえ、その要求先が他人ではなくても漠然と事態に対する改善の要求ではある気がするけど、やはり無意識の「痛い」という発話はあるだろう)




ま、そんなわけで、解決方法はいろんな人が提示しています。


でもね、満足できないんですよ。

……と、野矢さんは言った。(文言は多少違うかもしれない)


野矢さんが、他我問題において譲れないこととして次のことを言っていた
(なるべく野矢さんが言っていた感じで書いてみる)

痛いっていうのはやっぱり他人においても私が「痛い」と言う感覚であってほしいし、
自分と他人は同じだと言いたいんですよ。自他の非対称性はイヤなんですというのがすごく難しいのはわかってるんですけどね。

(わがままな御方だw)
こんな風に文言として言っていた。と思う。
雰囲気、わかるかなあ?こんな感じの方なのですよー




では、野矢さんはどういう風に考えるかというと
「眺望論」というのを提案しました。



眺望論。

ざっくばらんに言えば、
もし同じ条件に立てば、同じ感覚を持つよね。
という感じ。

たとえば、僕と隣にいる子では見てるものは違う。だって立ってる(座ってる)ところが違うし。
でも、もし僕の席にあの子が座れば(そして座高が一緒なら)同じものが見えるよね。

てなわけで、同様に
あの子に僕が腕をつねられて「痛い」と思うけれど
僕が力の加減や角度をまったく寸分の狂いもなく同じようにつねったら、
そしてあの子が僕とまったく同じ身体状態にあったなら、
僕が「痛い」と思ったまさにその感覚が生じるよね

以上で語った、視点や条件や身体状態といったことが「眺望点」。
そして「眺望点」に立って知覚されるもの全体が「眺望」。

つまり、ある眺望点に立てば、他人であっても僕と同じ眺望(感覚)を持つ。

他人と自分が同じ感覚を持ち得ると言えるのです。



はい、ここで、
「先生!」
なのです。質問に行きましたー


(ここからは野矢さんとのコミュニケ&内心葛藤メモなので記述的になることを了解の上でよろ。)


この眺望論自体は、他人が自分と同じ眺望構造をしているどうかについては言及をしていませんよね
てことは、他人が同じ眺望点に立てるかどうかについては、まだ全く保証がないわけです。
「もし同じ眺望点に立てば」という条件が満たされる可能性がゼロだったら、眺望論は他我問題の解決にまだなってないように思えてしまうのです。
他我問題の解決に踏み入るには、さらに、他人が自分と同じ眺望点を持ち得るんだという論証があってこそなのでは?
いや、それでこのレジュメのことに入るのでしょうけれど。(レジュメに軽ーく書いてあった)(が、本当に軽く。)


(実際はこんなに綺麗に質問できてません。)
(「他我問題」とか、間違えて「自我問題」とか言ってしまった気がする)
(足がカタカタだったんですってば!)


で、そしたら野矢さんは
「おっしゃるとおりです」
と頭を下げてしまわれた……、、、!

………で、何て仰っていたかなあ、、、
野矢さんがあの時話してくれて、それをうんうんと頷きながら聞いていたことは覚えているのに、そのとき野矢さんのアタマを見ていた(失礼!)のは覚えているのに!
………なんて野矢さんは言ってたかなあ、ええと、…

そうなんですよ、もう少し論証しなきゃいけないところなんですよー

みたいな感じだっただろーか………いや、違う、違う!
ああもうなんだったっけ!話を聞いている時の眺望(アタマ)はしっかりと覚えているのに!


で、さらに僕が言ったことは、

「この眺望点に立てば」っていう条件が、なんかずるいなあって。
だって、コウモリだって、もしなにか身体状態が変化して僕と全く同じ眺望点を持てるようになったら同じ感覚を持つと言えるじゃないですか。
この条件さえ成り立てば、同じ眺望を持つ。
だけど難しいのは、そしてここで問題になるのは、同じ眺望に果たして立てるのか?ということなんじゃないでしょうか…

(実際はこんなきれいに言えてまセン!)
(同じことを何度も言ってしまった気がする…)


そしたら野矢さんは、また、
「おっしゃるとおりです」
と頭を下げてしm(以下略


しかし。
こんなに簡単に、頭を下げてしまうなんて。
やっぱり、凄い方だ、と思える。
だって、学生に指摘されてその批判を受け入れアタマを下げる、なんて普通できなくね?
逆に僕の方こそ頭が下がる思いです。
自分に都合が悪いからといって批判を受け入れられないようにはなりたくない。
見習わなければ。そして僕もあんな風になりたい。




で。
僕の質問はどうなのだろーか
無意味な質問?それとも適切な指摘?

要するに僕は、眺望論を他我問題の解決案として提示するなら
他人が同じ眺望に立ち得ることの論証が大事なのではないだろうか?
ということを言いたかったのです。(授業では眺望論の説明だけだったから)

…うーん、野矢さんはどう思っただろう。
んなのわかってるんだよ、いまさら言わせるな、  なーんて…
もしかしたら、僕が言ったことを授業で言っていたかもしれない。僕が聞き逃しただけかもしれない。
そうだとしたら僕はとても余計なことを…いやいや、だとしたら質問に対しそう返したはずだ


そしてもっと言えば、
同じ眺望点に立ち得ることの論証は、他我問題そのものなんじゃないかと思うんだよね
まさにそれこそが、今まで数多の人が挑んで論証できなかったことなんじゃないのかなあ、って。



アレ?
よく考えたら……
僕のこれってば、質問じゃねぇじゃねーかァァァァァアアアアア!!??

だって、ただの苦情?ツッコミ?指摘じゃねーか!
あ、う、僕ってば、………


いや、やっぱり、僕のノヤさんアタックは無意味だった気がする。
だって、質問でないのならば、僕の疑問が解消される訳でもなく
かといって、野矢さんがこのことに気づいていないはずがない。
だってアナタ、僕よりもずっとずっっっと!はるかにアタマの回るプロの哲学者デスよ!?
きっと気づいていたに違いない。いまさら、なことだっただろう。

………副次的な、価値しかなかったのかな!
もし質問(?)しなかったら、眺望論だけじゃ足りないんじゃないの?という疑問を抱いたままになっていた。でも野矢さんが言うんだったら、眺望論だけで解決できるけど僕が理解していないだけかもしれない。
自分の理解能力そのものへの疑いを増していた。
またさらに、野矢さんほどの人でも、僕の指摘を認めてくれるのだ、と。
僕は自分のオツムにものっっそい不安を抱いている。
自分が何かをおかしいんじゃないかと思っても、そう思うのは僕のオツムが足りないからなんじゃ、という不安が常につきまとう。
だけど野矢さんが、おっしゃるとおり、と言ってくれたということは、僕がおかしいと思ったことは正しかったということ。
………でも、あそこまで頭を下げられると、なんというか、野矢さんとしてはもうわかっていることで自分でもそこが穴だと十分解っているから、頭を下げたのではないか、
つまり、僕に対して頭を下げたのではなくて、自分の論の穴を放置していることについて、申し訳ない、と頭を下げたのではないか

………アレ?
なんだか、ぐだぐだだな…
これだったら結局、野矢さんは、僕に、頭を下げたことになる
違う、そうじゃなくて何か違和感が…

これならいいと思えるパターンは?
野矢さんが穴に気づかず、僕に指摘をされて気づき頭を下げる(なんって傲慢不遜な考え!)
いやだなあと思うパターンは?
そんなことはもう知っています。よーく知っています。だけれど適切な指摘です。だから皮肉的に頭を下げる。(…なんだこれは!)


………いや、どちらにせよ、僕の指摘は当たっていた、的外れなんかじゃなかった、ということでそれだけでも喜んでいいんじゃないかな


っていうかね!
たかが少し質問(?)したくらいでこんなにうじうじすることがホント小っさいよね!
いや、呆れられてたらイヤだなあ、って……
だから、呆れられていないことの検証をしたかったんデス!

……はいはい。


うー、今度は「質問」をしたいなあ!
来週もがんばりましょうー
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